【常識を疑う】
常識とは一体何なのでしょうか?
「それって常識だよ。」
と言われることは誰しも経験があることと思います。
この常識というのは実はくせ者なのです。
常識というのは、全員に共通するもののように理解している人がほとんどではないでしょうか。
ですから常識から外れてはいけないというような考え方をすることが多いことと思います。
ところが、実際の常識というのは全員に共通するようなものではありません。
常識は人それぞれ異なっているもの。
ですから先ほどの「それって常識だよ。」と言われた時の常識とはその人にとって常識であって、自分にとっても常識であるとは限りません。
常識というのは、生まれてから今までの間、自分が生きてきた環境によって外部から植え付けられて身につくもの。
ですから最も身近にいた人からの影響を強く受けて、自分の常識が作り上げられていきます。
多くの人が、両親等の家族や学校の先生、友人等から多大な影響を受けていることでしょう。
この常識、狭い範囲からの影響で身についていれば、狭い世界での常識の中で判断して生きていることになります。つまり選択肢の幅が狭い状態で生きているということです。
逆に広い範囲からの影響を受けていれば、選択肢の幅が大きい状態で生きているということになります。
例えばサラリーマン家庭で育ち、その両親の影響が強い中で常識が身についていたとします。
そうすると成長していくなかで、いつの間にか自分がサラリーマンになる選択を当たり前のように選んでいき、それに対して何の疑問も持ちません。
それが自分の常識だからです。
逆にサラリーマン家庭で育ったとしても、個人事業主やビジネスオーナー、投資家などあらゆるジャンルの人と過ごすことができる環境に身を置いていたとします。
そうすると、分野の異なる沢山の人達の常識に触れることで、将来の選択肢が格段に広がっていきます。
サラリーマンになりたければ企業に就職すればいいし、自分でビジネスを立ち上げたいなら起業しても良い、など沢山の選択肢の中から自分の好きな道を選ぶことができます。
夢・目標を描く時も、実はこの常識によって制限がかけられています。
人には誰でも無限の可能性を持っているといっても、自分の常識で制限をかけていたらその可能性の扉を開くことはできません。
ですから時には自分の常識を疑うことが大切なのです。
自分の夢・目標は常識が制限をかけていないだろうか?
自分の行動が成果につながらないのは、自分の常識の何かが制限をかけていないだろうか?
そんなのは無理だと思ったのは自分の常識が制限をかけているからではないだろうか?
等々
常識というのは「自分の中に蓄積した他の誰かの考え」にしか過ぎません。
時折、自分の常識を疑ってみましょう。自分の常識という殻が破れた時に、想像以上の飛躍が待っています!