仕事を頑張っても意味ないと感じたとき「誰の役に立ったか」を書けば意味が見えてくる!ローマ皇帝の対策を紹介
こんなに頑張っても、意味ないのかもしれない。
毎日遅くまで働いても、誰かにほめられるわけでも、何かが大きく変わるわけでもない。
そんなふうに、仕事を頑張ることに意味を感じられなくなることはありませんか?
仕事を頑張っても意味ないと感じたときは、その日の仕事が「誰の役に立ったか」を書き出すことで、仕事の意味が見えてきます。
なぜなら、意味がないと感じるときの多くは、自分の仕事が誰に届いているのかが、見えなくなっているから。
実はこの考え方、約1850年前のローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、自分のために日記に書き残したもの。
皇帝は、よい行いをする人を、実をつけたあと何も求めないぶどうの木にたとえていました。
その言葉が、頑張る意味を見失ったときの大きなヒントになります。
この記事を読むとわかること
- 仕事を頑張っても意味がないと感じてしまう理由
- ローマ皇帝が日記に書いた「ぶどうの木」のたとえ
- 「誰の役に立ったか」を書き出して、仕事の意味を見つける方法
この記事を読めば、見返りがすぐに見えない日でも、自分の仕事に意味を感じながら働けるようになります。
仕事を頑張っても意味ないと感じるのは、自分の仕事が誰に届いているか見えないから

仕事を頑張っても意味がないと感じるのは、それだけ真剣に仕事に向き合ってきたからです。
頑張ったぶんだけ、何かが返ってきてほしいと思うのは、自然な気持ちです。
ただ、意味がないと感じるとき、本当に意味がないわけではありません。
自分の仕事が、どこで、誰の役に立っているのかが見えにくくなっているだけなのです。
ここでは、仕事を頑張っても意味がないと感じてしまう理由を見ていきます。
仕事の行き先が、目に見えにくい
今の仕事の多くは、自分の手を離れたあと、どこに届いているのかが見えにくいものです。
・作った資料が、そのあとどう使われたのかわからない
・入力したデータが、何の役に立っているのかわからない
・自分が担当したのは、大きな仕事のほんの一部だけ
仕事の行き先が見えないと、自分が何のために働いているのか、わからなくなってしまいます。
頑張りへの「見返り」を待つほど、むなしくなる
頑張っても意味がないと感じるとき、私たちは見返りを待っていることが多いものです。
・これだけ頑張ったのだから、評価されたい
・これだけ尽くしたのだから、感謝されたい
・これだけ働いたのだから、何かが変わってほしい
見返りが返ってこないと、頑張りがむだになったように感じます。
見返りを待つほど、それが来ないことへのむなしさが大きくなってしまうのです。
では、見返りが見えない中で、どうすれば仕事に意味を感じられるのか。
そのヒントを、約1850年前のローマ皇帝が、自分の日記に書き残しています。
ローマ皇帝に学ぶ|よい行いは、見返りを求めずに実をつけるぶどうの木のようなもの

マルクス・アウレリウスは、161年から180年までローマ帝国を治めた皇帝です。
皇帝の仕事は、国じゅうの人の暮らしを支えることでした。
でも、その努力のすべてが、人から感謝されたわけではありません。
ここでは、見返りの見えない仕事を続けた皇帝が、日記に書いたたとえを紹介します。
人に親切をしたときの、3種類の人
マルクス・アウレリウスは、『自省録』第5巻に、人に親切をしたときの3種類の人について書いています。
1人目は、親切をすると、すぐに「貸しを作った」と相手に言いたがる人。
2人目は、口には出さないが、心の中で相手を「借りのある人」と思っている人。
3人目は、自分が何をしたのかを、まるで気にしていない人。
皇帝は、この3人目の人を、こんなふうにたとえています。
「実をつけたあと、何も求めないぶどうの木のように」
マルクス・アウレリウスは、こう書いています(訳は筆者によるもの)。
> その人は、ぶどうの実をつけたあと、それ以上何も求めないぶどうの木のようだ。よい行いをしても、人を呼んで見せびらかしたりせず、次の行いへと移っていく。季節が来れば、ぶどうの木がまた実をつけるように。
ぶどうの木は、実をつけたことを誰かにほめてもらうために、実をつけるわけではありません。
実をつけること、そのものが、ぶどうの木の役目なのです。
仕事も同じです。
誰かの役に立つ仕事をしたという事実そのものに、すでに意味がある。
見返りがあるかどうかは、その意味を変えるものではないのです。
ここからは、皇帝の考え方を、仕事を頑張っても意味ないと感じたときに使える手順にして紹介していきます。
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仕事を頑張っても意味ないと感じたとき「誰の役に立ったか」を書けば意味が見えてくる

仕事に意味を感じるために必要なのは、大きな成果を出すことでも、評価されることでもありません。
自分の仕事が、誰の役に立ったのかを、自分の目で確かめることです。
自分のつけた「実」が見えれば、見返りがなくても、仕事に意味を感じられるようになります。
それでは、4つの手順に分けて紹介します。
手順1:その日にした仕事を3つ書き出す
仕事が終わったら、その日にした仕事を3つ書き出します。
・会議の資料を作った
・お客さんからの問い合わせに答えた
・後輩の作業を手伝った
大きな仕事でなくてかまいません。
いつもの仕事を、そのまま書き出します。
手順2:それぞれに「誰の役に立ったか」を書く
書き出した仕事の横に、その仕事が誰の役に立ったかを書きます。
・会議の資料 → 会議に出た人たちが、話を早く進められた
・問い合わせへの答え → お客さんの困りごとが1つ解決した
・後輩の手伝い → 後輩が締め切りに間に合った
直接お礼を言われていなくても、かまいません。
自分の仕事の先にいる人を、思い浮かべることが大切です。
手順3:見えないときは「この仕事がなかったら誰が困るか」を考える
誰の役に立ったのか、すぐには思い浮かばない仕事もあります。
そんなときは、「この仕事がなかったら、誰が困るか」を考えてみます。
・データの入力 → これがなかったら、集計をする人が困る
・書類の整理 → これがなかったら、あとで探す人が困る
誰も困らない仕事は、ほとんどありません。
自分の仕事が、見えないところで誰かを支えていることに気づけます。
手順4:1週間たったら、書いたものを見返す
1週間ほど続けたら、書きためたものを見返します。
1日ごとには小さなことでも、並べてみると、自分の仕事が多くの人に届いていることがわかるはずです。
皇帝の言うぶどうの木のように、自分も毎日、誰かのために実をつけている。
そう気づくことが、頑張る意味を取り戻すきっかけになるのです。
見返りを求めずに働き続けるための、ローマ皇帝のもう1つの考え方

「誰の役に立ったか」を書けるようになっても、やはり見返りがほしくなる日はあります。
評価されたい、感謝されたいという気持ちは、自然なものです。
皇帝は、ぶどうの木のたとえの中で、よい行いを続ける人の姿についても書いています。
ここでは、見返りを求めずに働き続けるための、皇帝の考え方を紹介します。
走り終えた馬、蜜を作り終えた蜂のように、次の行いへ移る
マルクス・アウレリウスは、ぶどうの木のたとえに続けて、こう書いています。
走り終えた馬、獲物を追い終えた犬、蜜を作り終えた蜂。
それらは、自分のしたことを誰かに見せびらかしたりしない。
人もまた、よい行いをしたら、人を呼んで見せたりせず、次の行いへと移っていく、と。
頑張ったことを、誰かに認めてもらうのを待つ必要はありません。
1つの仕事を終えたら、自分で「よくやった」と区切りをつけて、次の仕事へ移る。
見返りを待たずに次へ進める人は、むなしさに振り回されることが少なくなります。
自分の仕事に、自分で意味を見つけられるようになるからです。
まとめ:仕事を頑張っても意味ないと感じたときは「誰の役に立ったか」を書いてみよう!

最後に、この記事のポイントをまとめます。
仕事を頑張っても意味ないと感じるのは、自分の仕事が誰に届いているか見えないから
今の仕事の多くは、自分の手を離れたあと、どこに届いているのかが見えにくいものです。
頑張りへの見返りを待つほど、それが来ないことにむなしさを感じてしまいます。
ローマ皇帝は、よい行いをする人を「実をつけたあと何も求めないぶどうの木」にたとえた
ぶどうの木は、ほめてもらうために実をつけるわけではありません。
誰かの役に立ったという事実そのものに、すでに意味があるのです。
その日の仕事を3つ書き出し、それぞれ「誰の役に立ったか」を書く
その日にした仕事を3つ書き出す。
それぞれに、誰の役に立ったかを書く。
見えないときは、この仕事がなかったら誰が困るかを考える。
1週間たったら、書いたものを見返す。
あなたの仕事は、目に見えないところで、きっと誰かを支えています。
あなたが、自分の仕事に意味を見つけ、胸を張って働けることを、心から応援しています。
同じように仕事に悩むときに役立つ記事です。


『自省録』を読んでみたいあなたへ
この記事で紹介した言葉は、マルクス・アウレリウスの『自省録』に収められています。
日本語訳は、訳者の違う2冊があります。
参考文献
- マルクス・アウレリウス『自省録』第5巻第6節(英訳:George Long 訳、The Internet Classics Archive https://classics.mit.edu/Antoninus/meditations.html)
