節約に疲れたとき「何のための節約か」を決めれば無理なく続けられる!二宮尊徳の対策を紹介
節約、もう疲れた。
1円でも安いものを探し、欲しいものを我慢し、家計簿をつけては落ち込む毎日。
頑張っているのに暮らしは楽にならず、節約することそのものが苦しくなってしまった。
そんなふうに、節約に疲れてしまうことはありませんか?
節約に疲れたときは、「何のための節約か」を決めることで、無理なく続けられます。
なぜなら、節約疲れの多くは、節約そのものが目的になってしまい、どこまで続ければいいのかが見えなくなっていることから生まれているから。
実はこの考え方、江戸時代の終わりに、多くの村の暮らしを立て直した二宮尊徳が、はっきりと語っていたもの。
尊徳は、自分の教えは倹約そのものを目的にしているのではない、いざというときに備えるためだ、と弟子に語っていました。
その言葉が、節約疲れから抜け出すための大きなヒントになります。
この記事を読むとわかること
- 節約に疲れてしまう理由
- 二宮尊徳が語った「倹約は目的ではなく、備えのため」という教え
- 「何のための節約か」を決めて、無理なく続ける方法
この記事を読めば、我慢ばかりの節約をやめて、自分で納得できるお金の使い方ができるようになります。
節約に疲れるのは、節約そのものが目的になってしまっているから

節約に疲れるのは、それだけ真剣に暮らしを守ろうとしてきたからです。
家族のため、将来のために、毎日こつこつと頑張ってきた証でもあります。
ただ、節約が苦しくなるのは、頑張る方向が見えなくなっているからです。
節約することそのものが目的になると、終わりがなくなり、どこまでいっても安心できなくなってしまうのです。
ここでは、節約に疲れてしまう理由を見ていきます。
「できるだけ使わない」には、終わりがない
節約を始めたばかりの頃は、使うお金が減っていくのがうれしく感じられます。
でも、「できるだけ使わない」を続けていると、だんだん苦しくなってきます。
・もっと安い店があったのではと、買ったあとに考えてしまう
・少しでも使うと、「むだづかいをした」と落ち込む
・ここまで減らせば十分、という線がわからない
「できるだけ」には、ゴールがありません。
ゴールのない努力を続ければ、誰でも疲れてしまうのです。
楽しみまで削ると、暮らしが味気なくなる
節約を頑張りすぎると、暮らしの中の楽しみまで削ってしまいがちです。
・友人との食事を、お金がかかるからと断る
・好きだった趣味を、もったいないからとやめる
・家族でのお出かけを、減らしてしまう
お金は残っても、毎日が味気なくなれば、何のために節約しているのかがわからなくなります。
節約のために暮らしがあるのではなく、暮らしのために節約があるはずなのです。
では、節約とどう付き合えばいいのか。
そのヒントを、江戸時代の終わりに生きた二宮尊徳が、弟子に語り残しています。
二宮尊徳に学ぶ|倹約は目的ではなく、いざというときに備えるためのもの

二宮尊徳(金次郎)は、江戸時代の終わりに生きた農政家です。
貧しい農家に生まれながら、自分の家を立て直し、その後は多くの村や藩の暮らしを立て直しました。
尊徳といえば、倹約の人というイメージがあります。
でも、尊徳自身は、倹約そのものを目的にしていたわけではありませんでした。
ここでは、弟子の福住正兄が書き留めた『二宮翁夜話』から、尊徳の言葉を紹介します。
「倹約を専らとするにあらず、変に備へんが為なり」
尊徳は、自分の教えについて、こう語っています(『二宮翁夜話』巻之一)。
> 人は云ふ、我が教へ、倹約を専らにすと。倹約を専らとするにあらず、変に備へんが為なり。
人は、私の教えを、ひたすら倹約をすすめるものだと言う。
でも、倹約そのものを目的にしているのではない。
思いがけないことが起きたときに、備えるためなのだ、という意味です。
尊徳は続けて、こうも語っています。
人は、私の道を、財産をためこむことだと言う。
でも、ためこむためではない。
世の中の人を助け、世の中を開いていくためなのだ、と。
「けち」と「倹約」は、目的があるかどうかで分かれる
尊徳は、同じ話の終わりに、古い言葉を引いて、こう結んでいます。
この道理をよく味わえば、「吝(りん)」か「倹」かは、説明するまでもなく明らかだろう、と。
「吝」とは、けちのこと。
「倹」とは、倹約のことです。
使うべきところにも使わず、ただお金を出し惜しむのが、けち。
使うべきところに使うために、ほかのところを引きしめるのが、倹約。
2つを分けるのは、「何のために」という目的があるかどうかなのです。
目的がはっきりしていれば、節約は、苦しい我慢ではなくなります。
ここからは、尊徳の教えを、節約に疲れたときに使える手順にして紹介していきます。
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節約に疲れたとき「何のための節約か」を決めれば無理なく続けられる

節約疲れから抜け出すために必要なのは、もっと上手に節約することではありません。
「何のために節約するのか」と「どこまでやれば十分か」を、はっきり決めることです。
目的とゴールが決まれば、それ以外のところでは、安心してお金を使えるようになります。
それでは、4つの手順に分けて紹介します。
手順1:節約の「目的」を1つ書く
まず、何のために節約しているのかを、1つ書きます。
・急な出費に備えて、生活費の3か月分をためるため
・子どもの進学のために、あと100万円をためるため
・年に1回、家族で旅行に行くため
「なんとなく不安だから」のままだと、節約に終わりがありません。
尊徳の言う「変に備える」を、自分の暮らしに合わせた言葉にします。
手順2:目的のために「毎月いくら残すか」を決める
次に、その目的のために、毎月いくら残すかを決めます。
・3か月分の生活費をためる → 毎月1万円ずつ
・進学費用をためる → 毎月2万円ずつ
・家族旅行 → 毎月5,000円ずつ
毎月残す額が決まれば、それが節約のゴールです。
その額を残せていれば、今月の節約は、もう十分にできているのです。
手順3:残す分を先に分けたら、あとは気にせず使う
給料が入ったら、決めた額を先に別の口座に移します。
そして、残ったお金は、細かく気にせずに使います。
・1円単位で安さを比べるのを、やめてみる
・毎日の家計簿を、月に1回の確認に変えてみる
・残った範囲の中なら、楽しみのために使ってもいいと決める
目的のための分は、もう残してあります。
それ以外のお金を使うことに、後ろめたさを感じる必要はありません。
手順4:削っていた楽しみを、1つ戻す
最後に、節約のために削っていた楽しみを、1つだけ戻します。
・月に1回、友人とランチに行く
・好きだった趣味に、月2,000円だけ使う
・週末に、家族で甘いものを食べる
楽しみがあるから、節約も続けられます。
使うべきところに気持ちよく使うことも、尊徳の言う「倹」の大切な一部なのです。
質素と我慢の違いを知る、ローマの哲学者のもう1つの考え方

目的を決めても、長年の習慣で、お金を使うたびに気がとがめることがあるかもしれません。
そんなときは、質素に暮らすことと、自分を苦しめることの違いを思い出してください。
約2000年前のローマの哲学者セネカも、尊徳とよく似たことを、友人への手紙に書いています。
ここでは、質素と我慢の違いについての、セネカの考え方を紹介します。
「哲学は質素を求めるが、苦行は求めない」
セネカは、友人に宛てた手紙(『倫理書簡集』第5書簡)の中で、こう書いています(訳は筆者によるもの)。
> 哲学は質素な暮らしを求めるが、苦行は求めない。
セネカは、わざと自分を苦しめるような暮らしは、自然に反していると考えていました。
質素であることと、きちんと心地よく暮らすことは、両立できるというのです。
節約は、自分を苦しめるためのものではありません。
大切なことにお金を使えるように、暮らしを整えるためのものです。
疲れを感じたら、それは節約をやめる合図ではなく、節約のやり方を見直す合図。
目的に立ち返れば、節約は、また無理のないものに戻っていきます。
まとめ:節約に疲れたときは「何のための節約か」を決めてみよう!

最後に、この記事のポイントをまとめます。
節約に疲れるのは、節約そのものが目的になってしまっているから
「できるだけ使わない」には、終わりがありません。
楽しみまで削ると、何のために節約しているのかがわからなくなってしまいます。
二宮尊徳は「倹約を専らとするにあらず、変に備へんが為なり」と語った
倹約は目的ではなく、いざというときに備えるためのもの。
「けち」と「倹約」を分けるのは、何のためにという目的があるかどうかです。
節約の目的を1つ書き、毎月残す額を決めて、あとは気にせず使う
節約の目的を、1つ書く。
目的のために、毎月いくら残すかを決める。
残す分を先に分けたら、あとは気にせず使う。
削っていた楽しみを、1つ戻す。
節約に疲れたのは、それだけ長いあいだ頑張ってきたからです。
あなたが、目的のある節約で、無理なく心地よい暮らしを続けられることを、心から応援しています。
同じようにお金に悩むときに役立つ記事です。


『二宮翁夜話』を読んでみたいあなたへ
この記事で紹介した言葉は、二宮尊徳の教えを弟子の福住正兄が書き留めた『二宮翁夜話』に収められています。
原文で読める1冊と、今の言葉に訳した1冊があります。
参考文献
- 福住正兄『二宮翁夜話』巻之一 第13話(原文の確認:二宮尊徳『二宮翁夜話』巻之一〜巻之五 http://sybrma.sakura.ne.jp/31ninomiyaouyawa.html)
- セネカ『倫理書簡集』第5書簡 第5節(英訳:Richard Mott Gummere 訳、Wikisource https://en.wikisource.org/wiki/Moral_letters_to_Lucilius/Letter_5)
